思考の掃き溜め

森のなかを駆け巡りながら色々考えたことのストック、とたまに日常のこと

思考の回し方

 時間が生まれ,気になっていた自分の思考の回し方について言語化してみる.

 思考の回し方,というよりは価値観の形成過程の回し方.文章中で何かを基準にしたような単語を使ってしまっているけど,まあそんな基準は各個人でたしかに持っているだろうし,気にしないでほしい.欲を言えば,誰が読んでも違和感を覚えることのない,客観性の保たれた文章を書きたいなぁとは思っている.

 

大枠は多くの人がこの枠に当てはまるだろう.

1. Plan

自己の価値観も持つ客観的な意義,ポジション.及び,外界に与えうるインパクト,そのリアクションの仮定(確認).

 

2. Do

外界に対する発信,行動.

 

3. Check

発信に対した,外界からのリアクションの評価(1.における仮定との差異の検討),考察.及び,自己価値観の修正,融合.

 

 これをひたすら何十年と繰り返していくうちに,根底にある「自己」を削り出し認識していくことになる.この三段階は各個人が固有のリズムで行っていくのだが,自分はPlanのステップにおけるリズムが自分で気持ち悪いな,とここ半年くらい思うことが多かった.

発信する前にPlan(確認, 仮定, 認識)するであろうことは,

・自己の価値観も持つ客観的な意義,ポジション

・外界(⊃他人)に与えうるインパクト,及びそのリアクション

だが,いかんせん前者に対して後者の比重がとても軽い,相対的に前者が重いというわけではなく.

 おそらく原因は,前者:自己価値観の認識に対する自信が強いため,外界のリアクションを考察する時間があるなら,さっさと発信して実際のリアクションを食らって修正したほうが早いと思っている(多分).自己の中で認識する「一般論」の認識が強く,その既に自分の中で用意された仮定とリアクションを比較するクセがついているため,後者を行う時間がほとんどない.例えるなら,目の前にある「壁」をこの「強さ」「角度」で叩いたら「どのくらい痛い」のか「どのような種類の怪我をするのか」,また壁は「どのように変形するのか(もしくは変わらないのか)」という仮定が常に自己の中にある.「壁」の種類や素材などは外見などの少ない情報で「自己一般論」に当てはめて,想定されるリアクションと実際のリアクションとの差を検討して,次に移行する.細かい条件を加味した考察をほとんど行っていない.

 こんなことを考え始めたのは,この半年「~した」って話をすると「ええっ!?」と言われることがこれまでに比べ異常に多かったからである.ともすれば,どこかの段階のテンポが人より早い(もしくは欠落し,飛ばしている)のかと考えていた.2016年はコミュニケーションを取るときに自己価値観は後ろにおいて,両者がフラットな状態で話すことを心がけるようにしたら多くの悩み事と解決したが,後ろにおいている間に自己価値観が凝り固まり,狭窄なものになってしまったのかなぁと最近うつうつと考えている.

 余談だけど,跳ね返ってきたリアクションが自己一般論による仮定とかけ離れすぎていると暫くの間思考停止するくせも最近判明した.現在思考停止中である.