思考の掃き溜め

森のなかを駆け巡りながら色々考えたことのストック、とたまに日常のこと

自分自身の言動に責任をもつということ。

最近また1つ自分の中で価値観が少し固まってきたので久しぶりに

 

自立した大人と、高校までの生徒の大きな違いはなんだろうか。高校までは立場が上の人にやるべきことをを与えられて、それをこなしているだけで評価されるけども、社会に出てはそうは行かない。そこの緩衝材になるのが「大学」という四年間。本来の「大学」のあるべき存在意義とは異なりますが、日本においてはそのような点に重きが置かれています。

「自分で考えて、意思決定をして、行動して、失敗した/成功した。」ということの経験の有無は大きく人の価値観をひっくり返します。言うなれば「自分の言動の責任をすべて自分が持つ」ということです。いままで言われたことをしっかりとこなしていれば褒められ、承認欲求を満たすことができていたのに、突然そうではない場に放り込まれます。「自身に責任をすべて持つ」ことをそれまでにこなしてきている人はそういないと思います。

僕の場合は高校での生徒会長での経験、などよりも親に「いいんじゃない」の一言で始めた東大に向けた受験勉強でした。僕の親は基本的に放任主義なので息子が何をしようと徳には何も言いません、そんな環境の中で仲の良かった友達二人がどちらも東大志望だったのでなんとなく流されて、僕なりに一生懸命に1年ないし半年はやってきました。そんな自分で始めたものがあっけなく本番二次どころかセンター試験で爆散してしまった時の衝撃はそれはそれは凄いものでした。それから今の筑波大を受験するまでの自分の意志の記憶は殆ど無く、地学・生物で受けられると理由だけで適当に選んで適当に受かっていました。

自分で勝手に始めたことなのでその失敗の責任をどこにも押し付けるけることが出来ずに、全て自分で飲み込むしかありません。僕は筑波大学に入ってからもその消化に半年以上かかりましたが、飲み込めた後に気がついたことは「今の自分の立場、価値観は自分の決定によって定められたものなんだな」というとこでした。この感覚は僕の中でとても大きい収穫で、それ以降僕は自分の言動の全てが自分の価値を決める、何も自分で決めなければ誰にも認められない、と思うようになり、大学に入るまで知りもしなかったよくわからないマイナースポーツに打ち込んだり、そんなスポーツの団体の運営に躍起になっています。実際それは外の人から見たらどこに価値を見出しているのかは分からないものかもしれませんが、自分の中では確かに自分を高めるものになっている実感があります。とても今が楽しいです。

そんな楽しい感覚を知ってもらいたくて、僕は部員に色々とうるさく話します。競技に打ち込めといっているわけではなく、せっかくこんなマイナースポーツの団体に属しているのだからそこに属している意味を自分で考えて見出してみようと。そんな感覚の押し付けは自己満足でしかないことはわかっているのですが、僕は楽しいのでその楽しさを知って欲しいです。

 

相変わらず書いている間にまとまりがなくなるのは良くないですね。