思考の掃き溜め

森のなかを駆け巡りながら色々考えたことのストック、とたまに日常のこと

なぜ走るのか

「ランニングの世界」という冊子を読んでレビューを書くという授業のレポートで書いたもののコピペです。その号の特集は「なぜ走るのか」。
一部改変

「なぜ走るのか」、普段から走る生活をしている上で当然この問い掛けは自分にしたことがある。「走ること」は辛い上に時間をとられる、そこに価値を見いだせない人はそもそも走ろうとしないであろう。自分が「走っている」以上は自己の価値観を照らしあわせた上で、その行動に時間を割く・労力をかける価値を見出してるのである。走る人達たちが言う「走るといいことあるよ」という言葉。その「いいこと」とは何を指すのだろうか、結果として得ることの出来た栄光なのか、それとも外からは見えない自己の中で見つけることの出来た喜びだったのだろうか。
 一番わかり易い「走る」原動力として「記録が出ること」があるだろう。読んだ記事の中にロジャー・バニスターというイギリスの医学生が1マイル4分の壁を破るために走ったというものがあった。「自分の二足をもって、以前、誰しもできなかった頂点に達するためにあらゆる困難を征服する精神と肉体の挑戦は、若い時には非常に現実に富、魅力のあることでした。」とあるが、これがまさに彼にとって走ることに対して見出した価値を示している。達成感を得るためにはあらゆる困難を精神と肉体において征服しなければいけない、そのプロセスは非常に苦しいものである。自分が良かれと思い積んできた末に結果が出なかったのであれば、その積んできたものを否定し自分の中で受け止めなければならない。受け止められなければ、いま破ることのできなかった壁を破る突破口は得られない。苦しいが、その苦しさを上回る価値を見出す事ができたのであれば身体が「走ること」に向かう。
 もちろんそのようにストイックな方向のものだけでなく、とりあえずなんとなく走ることを始める人もいるだろう。小学校の持久走や「つくばマラソン」などがそうだ。授業だから、友達が履修するから一緒になどきっかけは能動的というより受動的なものの割合のほうが多いだろう。しかし、走り始めると段々と意識が変わってくる。普段走らない人からしてみたら5kmも「踏み入れたことのない未知の領域」であり、そのような踏み入れたことがなかった世界は外から見ると靄がかかっている。その靄の中には、一歩目に絶望的な自分の限界があるかもしれない、だとしたらその限界が見えないままにしておいたほうが「楽」なのである。しかし、受動的きっかけであろうと足を踏み入れてみると、そこに壁はなく意外と「やれる」自分が見えてくる。しかし、人はずっと頑張れるものでなくそのうち「飽きる」、とはいっても飽きることにも「なぜ?」を問いかけるとそこにもきっと理由がある。限界が意外と先であることがわかるとしばらくの間は伸びていく自分が楽しくて走ることが出来るが、伸びていった先にあるかもしれない限界に近づくことに対する抵抗と感情が拮抗した末に「まあこんなものでいいだろう」と思ってしまうと途端に足が止まる。これが所謂「飽きる」という3文字の単語が持つ本質的な意味合いであるのではないかと僕は考えている。その飽きという便宜上の言葉を征服した上で先に進むこと、これは普通の日常を送っていく中で得ることの難しいプロセスである。それはつくばマラソン受講者の「現状の自分と、マラソンを走る自分(理想)とのギャップを少しずつ埋めながら、ランナーへと成長していく」ことと同じであり、「走ること」のみに限定されない貴重かつ大きな経験となる。その経験がある人は、今後様々な場面で進まなければならなくなった時にきっと「やれる」自分を信じて前に進むことが出来るようになる。
 ネコも杓子も走るようになったいま、今回「なぜ走るのか」という問いかけについての特集記事を複数読み、昨今のランニングブームのきっかけを考えてみるとそんなところに答えの一つがあるんじゃないかと思う。人は成功経験を得て、自己肯定感を得たいという欲求を持っている、しかし価値観の多様化・手段の複雑化により何を取れば良いのかと選択を迷うことが多くなってきた中で、何も道具はいらずいますぐにでも実行することができ、自分の行動を時計1つで簡単に数値化することのできる「ランニング」。それに気が付き走り始めた人がいてメディアが「ブーム」として取り上げた、そうなると「走ること」は普通のことであり、きっかけのハードルはさらに下がり加速度的に爆発的ムーブメントとなった。ストイックなランナーも、市民ランナーも「走ること」に対する意志の強さに違いはあれど、原動力の根っこは一緒なのではないだろうか。漠然とした言葉であるが「走るといいことあるよ」の根源はきっとそこにあって、そうような目線で「走ること」を見てみるとなるほどなと思えてくるのである。